200220 一枚だけくすねた寫眞 / 題名は「憂う君」なんてどう?

 グランヴェル城から見下ろす自然は絶景だ。
 写真に残せたらいいのにと、呟いてからハッとして誤魔化した。しかしまあ魔法使いたちは奇妙なものや真新しいものが好きなので、簡単に誤魔化されてくれるはずもない。
 バルコニーの手すりに並んでいたフィガロは興味津々に首を傾けている。
「写真ってなあに。知らない言葉だ。教えてくれる?」
「ええと……。写実的に風景を切り取った、一枚絵のようなものです。」
「風景を切り取ったものか。」
 そうだなあ、とフィガロは考え事をする素振りをして、顎をひと撫でする。
 何か心当たりでもあるのだろうか。顔を上げるとフィガロはバルコニーの向こうに向かって人差し指をかざし、くるりと円を描いた。
「《ポッシデオ》」
 指の軌道に沿ってきらきらした金色のまぶしい粉が光る。瞬きをすると、その円に囲まれた景色が一枚の紙になって浮かび上がってきた。
 厚みがあるようでない。触ると紙の感触がちゃんとある。紙の上に息づいている景色は本物のように、木々を風に揺らしたり、青空に浮かぶ雲まで動いたりしている。
 写真よりも、もっと十分にすごい魔法だった。
「こんな感じ?」
「写真は動かないので、こっちの方がすごいですよ!」
「そう? 賢者様がそう言ってくれると嬉しいなあ。」
 フィガロは紙をそっとわたしの手のひらに置いた。景色の中から、山を撫でる風の音まで聞こえてきそうだ。
「でも、これは紙が乾いたら消えてしまうよ。僕らはこうやって切り取った景色を、ケースにしまって保存する。きみも知っての通り、アミュレットにするんだ。」
「なるほど……。本物をそのまま切り取ったみたい。」
 フィガロはそうだろう、と授業中の先生のような返事をする。
 紙の角度を変えると日の当たる位置が変わったり、風の向きが変わったりする。風景のミニチュアは魔法使いの子どもの玩具にもなるらしい。
「人も写せるんでしょうか。」
 さながらわたしは授業中にとんちんかんな質問をする生徒のように見えたのかもしれない。だけど、フィガロは生徒を馬鹿にする先生ではないので、おかしそうに微笑んで、それでもきっぱりと否定をした。
「それはだめだよ。言っただろう、これは本物を切り取ってる。」
 風景の一部だけを切り取って自分のものにするのとは、訳が違う。
「賢者様の魂がふたつになっちゃうよ。」
「……それは困ります。」
「ふふ。でもね、魂がふたつになっても誰も気づかないんだ。痛みもないし、もうひとりの自分が生まれるわけでもないしね。」
「そうなんですか?」
 フィガロはわたしの手から紙片を取り上げて、ふうっと風に乗せた。たちまち金色の粉になって、霧散する。
「これはあくまでもこの瞬間の風景を切り取っただけのものだ。本物であって、本物じゃない。悲しいけれどこの紙の中には雨は降らないし、夜も来ない。息をしていないのと一緒さ。」
 すると、風景の一部として切り取られた人はその景色の中で生きながら死んでいるということになる。なかなかぞっとする解釈を平然と言ってのけるフィガロは、さすがというべきか。
「だけど、つまりそれは永遠ということですよね。」
「あはは! そうだね。そうとも言える。きみは鋭いね。」
 わたしの回答はフィガロ先生にとっての模範解答だったようだ。
 フィガロはけらけらと笑って、バルコニーの手すりに背中を預けた。
 切り取られた一瞬が永遠なら、今ここに続いている時間は刹那なのだろうか。この世界ではこういう方法でしかこの瞬間をあとには残せないのだろうか。だとしたらなんて悲しくて、美しいんだろう。
 フィガロがこちらを見ている。目が合うと、にやっと笑った。
「きみは知らないうちに誰かのアミュレットになっているのかもしれないよ。」
「……怖いこと言わないでください!」
「冗談だよ。ごめんね。」
 からかうように肩を竦ませて笑って、フィガロはわたしの頭をぽんと撫でて室内に戻って行った。
 わたしが背を向けたそのときにフィガロは短い呪文を呟いて、空中に円を描いているのかもしれない。わたしの知らないところで、わたしの魂の半分を持っていこうとしているのかもしれない。フィガロなら。フィガロならそんなこと、簡単に……。
 意を決して振り返るとそこには誰もいなかった。
 やっぱりそんなことはありえないのだ。疑ってしまったようで気後れする。わたしは息を吐いて、バルコニーに身をもたげる。どこからかたゆたう金色の粉が、グランヴェル城から望む自然を不思議に彩り続けていた。

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