200712 やけど移して

 どこか乾いた風の吹く都会の真ん中でも、真夏にはさすがに湿度の高く鬱陶しい空気が身体を包む。
 梅雨が明けたかと思えばもう夏が来ている。日本の四季は美しくて趣があるとは思うけれど、夏のことはあまり好きじゃない。たとえ東京なんかの都心に比べればいくぶんか涼しい地域だとしても、汗かきの俺はどこで過ごしたって結局、息苦しくて堪らないのだと思う。
 と過ごす初めての夏は日本で味わうことになった。たまたま、日本での仕事を調整できそうだったから、休暇も含めて日本で過ごす期間を長めに取った。一人暮らしをしているの部屋は日当たりのよさが売りで、午後には西日が入るものの、しっかりと風を通すつくりになっている。クーラーがなくてもそれなりに快適に過ごせる土地柄もあって、夏の良いところを切り取ったような生活をしていることに、驚いたし安堵もした。
 島での暮らしに近いものがある。ごみごみした場所が少なくて、コンクリートの照り返しだって健全に思える。山があって、少し行けば海もある。夜風は真夏でさえきりっとした質感がある。一番太陽の昇る日中、噎せ返るような夏を迎えた街の中でも、色白のは浮かび上がることもなく涼やかな景色の中に身を委ねて暮らしている。
 東南アジアはここよりももっと暑く蒸した地域だから、を連れて行くのは酷のように思えた。避暑地のような玲瓏な土地で緩やかに生きるのがの身体には合っている。こんなにも心地よく過ごせる場所があるのにわざわざ離れるべきではない。それでいいし、そうして欲しいとも思う。

「ただいま」

 夕方五時過ぎには帰ってきた。の部屋で仕事をしていた俺は、もうそんな時間になったのかと時計を見やりながら、玄関まで行って出迎える。仕事はもう切り上げることにする。これから、夕食の準備をしなければならない。
 会社の同僚たちとドライブをして海に行ってきたの髪はまだ薄っすらと濡れている。荷物は籠編みのバッグ一つで出発したときよりも増えていて、提げたビニール袋には濡れた水着とバスタオルが入っている。お土産、と言って温泉饅頭を一つ手渡された。海のあと立ち寄った近くの温泉で買ったようだ。
「ずいぶん日焼けしたな」
「分かる? 顔と首がもう、ひりひりするの」
 お風呂上りだからというだけではないのだろう、の頬はピンク色に火照っている。砂のついたビーチサンダルを脱いで、は玄関に腰を下ろして足についた砂を払い落とした。潮の香りはあまりしない。シャンプーのような、良い香りがする。

「日焼け止めはちゃんと塗ったんだよな?」
「塗ったよ。でも海に入ったから落ちちゃった」

 砂を払うの、細い首にうしろから触れると陽だまりのように熱を帯びていた。

「痛い」
「悪い。ここ、真っ赤になってるよ」

 首の後ろ、肩から背中にかけて。は自分の指先でも触れて、その温度を確かめた。
 今朝、水着の上から着ていたパイル地のワンピースは素肌に着ていると、襟や脇が広く開いているので素肌がよく見える。この姿のまま温泉から戻ってきたのか。途中でコンビニなんかに立ち寄ったりしなかったんだろうか。ドライブとはいえ、すっかり油断したこのお風呂上りの姿はきっと他の誰かも見たのだろう。
 そもそも水着姿だって俺は誰にも見せたくなかったのに。
 ワンピースの襟に指を引っかけて少し下ろすと、ホルターネックのビキニの形に日焼け後が見えた。やけどのように赤く熱を持っている部分と、不健康な青白い肌のコントラストはなかなか煽情的だ。痛々しくて、可哀想なくらい。
 しっとりした肌に手のひらをくっつけて、撫でる。俺の体温が触れると痛いと言って、は身をよじって離れようとする。

「身体、熱いな」

 真っ赤になっている場所に唇を押しつけると、じんわりと温かかった。火照りにあてられてこちらまで熱くなる。広く開いた脇のところに無理やり手を突っ込んで、胸のあたりに指を這わせる。鎖骨や胸の上のところもすっかり日に焼けているようで熱くなっていた。

「痛い、チアキ」
「あとでボディローション塗らないとな」

 指を這わせた先に、ぴたりと吸い付くような冷たい肌が触れる。日焼けのしていないところだ。は身体をこわばらせて俺の手を取り押さえた。心底やめろと言いたげな苦い顔をして、とりあえず部屋の中に入りたいと懇願した。
 暗がりの玄関でさえはっきりと分かった身体の赤みは、明るいところに出てみると余計にひどく見える。これは触れたらさぞ痛かろう、と俺は自分の自制心のなさを少し反省する。

「……たった一日でこんな風になるのか」
「普段、日焼けしてないから余計にね」

 涼しい夏だけを享受していればこんな風にはならなかっただろうに。それでも、隅々まで夏を感じたいと思えばこういう風にもなるのだろうか。自分から夏を味わいに行くとでも言ったような、ともすれば愚かな行動にも思えた。けれど夏というのは往々にして息苦しく、うだらせて、人を愚かにさせるものだ。

「ちゃんとケアしないと明日が辛いぞ」
「うん……分かってる」

 疲れて、今にも眠りそうなはしぶしぶワンピースを脱いで、両手にボディローションを馴染ませてぺたぺたと身体に塗りたくった。やはり痛々しいまでの姿に俺はせめてものお詫びに、背中にそれを塗るのを手伝うことにした。

「今日、どうだった。海と温泉」
「楽しかったよ。一年ぶりに海入ったけど、あの島と違ってこっちの海水はすごい冷たかった」
「ああ……そんなこともあったな」

 がシーハイブの職員たちと海に行った日のことを思い出すと、今でも焦げ付いた感情が胸のどこかから蘇ってくる。

「……今日は女友達だけって言ってたよな?」
「そうだよ。会社の同期、わたし入れて三人」
「知らないやつに声かけられたりしなかったのか」

 はうん、と頷いて体勢を直す。なんとなく、嘘かもしれないと思った。

「本当に?」
「本当だよ」
「……ならいいけど」

 これ以上、話を広げたって俺が辛くなるだけで何一つ良い事はないと分かっている、けれどどうしても気にかかる。紛らわせるようにの耳の後ろにキスをして、肌と同じように赤く火照っている耳のふちを甘噛みした。「いっ、」あまり色気のない悲鳴。

「痛い?」
「痛い……。耳も日焼けしてたのかな」

 気だるいゆるやかな動きで離れてしまったの肩を、後ろから引き寄せて、抱きしめる。俺の体温が触れるのをは少し嫌そうにする。だから、余計にくっついていたくなった。

「痛いってば」
「日焼けしてないところならいいだろ?」

 無防備な下着のワイヤーに指をすべり込ませると、やわらかい胸が俺の指のかたちに窪む。やだ、と呟いていたもしだいに息を荒げて、とがった先端を指の腹で摘まむと甘い声をあげた。ブラのホックを外して、浮かび上がったそれを雑に取り払う。仰け反るの背中を腰からそっと撫で上げて、真っ赤な首の後ろに舌を押しあてた。

「熱いなら服、着たままするから」

 こんなに涼しくて快い夏を過ごしているくせに、自分からやけどしに飛び込むなんてばかげてる。けれど夏というのは往々にして息苦しく、うだらせて、人を愚かにさせるものだから、仕方ない。だって俺は今まで夏の悪いところしか知らずに生きてきた。
 誰かに見せた赤い肌の、さらに奥にある真っ白い部分を見せて、俺だけのものだと安心させて欲しい。君がいてようやく夏が意味のあるものになるのだから。

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